2023年訪れた展覧会、2024年気になる展覧会

またうっかり3ヶ月の時が経ってしまいました。お久しぶりの更新です。

美術館自体には行っていたのですが、なかなか文章にはできず年明けとなりました。

今回は、2023年に訪れた展覧会を振り返ったり2024年楽しみな展覧会をあげていきたいと思います!

 

 

2023年に訪れた展覧会

○…レポートを書いた展覧会

 

2月

・時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの | 金沢21世紀美術館

公式サイト:https://www.kanazawa21.jp/yvesklein/

 

・コレクション展2 Sea Lane - Connecting to the Islands 航路 - 島々への接続 | 金沢21世紀美術館

公式サイト:https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45&d=1802

 

昨年2月に石川県に旅行した際、訪れた金沢21世紀美術館。芸術が街に根ざすとはこういうことだなぁとすごく感動したのを覚えています。

特にコレクション展は、現代芸術の側面から沖縄とその交易、アジアの島々の在り方に注目した作品が並び、地方の大きな美術館でこれだけの鋭利な展示ができるのかと驚きました。

地震の影響でしばらくは休館とのことですが、再開したら必ずまた訪れたいです!

 

3月

○レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才 | 東京都美術館

mizumi-aka.hatenablog.com

初めてレポートを書いた展覧会!

 

4月

○「インターフェアレンス」展 | 銀座メゾンエルメス フォーラム

mizumi-aka.hatenablog.com

銀座メゾンエルメス フォーラム、いつも絶妙に刺さる展示をしかも長期で開催しているので本当に大好き。いつ行っても空気が澄んでいて、透明感があるのも大好き。

 

5月

クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ | 東京都現代美術館

mizumi-aka.hatenablog.com

一番圧倒された展覧会!美・美・美の連続で、展示方法の大胆さにも驚かされました。

 

○「さばかれえぬ私へ」「MOTコレクション 被膜虚実/Breathing めぐる呼吸」 | 東京都現代美術館

mizumi-aka.hatenablog.com

ディオール展と同日に見た展覧会。こちらもまた違う「作品の力」を眼前にしましたし、そもそも「作品」とはなんなのかを深く考えるきっかけになりました。

 

6月

○ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌフォーヴィスムキュビスムから現代へ|アーティゾン美術館

mizumi-aka.hatenablog.com

個人的2023年ベスト!作品の量、セレクト、歴史に沿った作品の展示順、そして現代の作家への繋げ方、どれも最高〜!抽象絵画の美しさ、楽しさを教えてくれた展覧会でした!

 

7月

・テート美術館展 光 — ターナー印象派から現代へ|国立新美術館

公式サイト:https://tate2023.exhn.jp/

大阪の中之島美術館では2024年1月14日までまだ開催中!

水実は大好きなターナーの作品が見られるとのことでわくわくで東京会場に行ったのですが、あまりの人の多さにくらくらして作品全部遠目からしか見ることができませんでした…。それでも、光をテーマに集められた作品たちは時代やジャンルも様々でどれも大変素敵だったので、会期間に合うかたは駆け込みでぜひ!

 

8月

足立美術館

公式サイト:https://www.adachi-museum.or.jp/

島根県にある足立美術館は、日本一美しい庭園と横山大観の絵画を多く収蔵することで有名。日本庭園に詳しくなくても、徹底したこだわりによって完成された美には思わず息を呑みます。(横山大観の絵画に景観を近づけたくて山に大きな滝作ったりしてる)(すごすぎ)

横山大観をはじめとする近代日本画だけでなく、現代の日本画魯山人の陶芸も素敵な景観の中で見られる足立美術館。めちゃおすすめです!

 

9月

○ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会|森美術館

mizumi-aka.hatenablog.com

現代美術の作品を、学校の科目に見立てたセクションに分けて展示するという、もうコンセプトからおもしろい展覧会〜!色んな作品が見られて楽しさという点ではこの展覧会が一番だったかも。そして、その美術館自身が収蔵している作品で構成された「コレクション展」の面白さに気付いたのもこの展覧会でした!

 

10月

・パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展—美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ|国立西洋美術館

公式サイト:https://cubisme.exhn.jp/

 

こちらの展覧会に合わせ、定期配信内のコーナーひとくち美術で「キュビズムってなんなのさ」という解説もしたのでよろしければぜひ。

www.youtube.com

 

50年ぶりの大キュビズム展というだけあり大ボリュームの内容。キュビズムの始まりから広がりをめいっぱい見られて楽しかったです。

東京での会期は2024年1月28日までですが、その後京都の京都市京セラ美術館へ巡回し2024年3月20日(水・祝)~7月7日(日)まで開催されるそうです(気合い入ってる〜!)。

 

11月

ゴッホ静物画―伝統から革新へ|SOMPO美術館

公式サイト:https://gogh2023.exhn.jp/
ゴッホの「ひまわり」を収蔵していることで有名なSOMPO美術館。実は初めて訪れました。展示数自体は少ないものの、額装や雰囲気の作り方がゴージャスで見応えのある空間でした。

こちらは会期2024年1月28日まで!

 

総評

振り返ると12回なので月1回は美術展に行っている計算ですね(これとは別にギャラリーなどには行っているのですが)。

個人的には月1という目標は達成できたので嬉しいです!

ただ、行きたかったのに会期に間に合わなかった展示もあり…。

反省も込めて特に行き逃して悔しかった2つをご紹介します。

 

・特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」|東京国立博物館

公式サイト:https://yamatoe2023.jp/index.html

大大大ボリュームの展示なので体調を整えて気合い入れて行くぞ!と思っていたらうっかり会期を逃しました悔しい…。

 

葛飾応為「吉原格子先之図」 ―肉筆画の魅力|太田記念美術館

公式サイト:http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/exhibition/yoshiwarakoushi

葛飾北斎の娘・応為の「吉原格子先之図」一度で良いから生で見てみたいと思っていたのでとても楽しみにしていたのですが都合が合わず断念。次はいつ展示されるんだろう…。

 

2024年気になる展示3選

気を取り直してお次はこれから始まる展覧会。

色々ラインナップが出ていますが、今年も楽しい展覧会がたくさん!

中でも気になる3つをご紹介します。

 

印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館所蔵|東京都美術館

会期:2024年1月27日(土)〜4月7日(日)

公式サイト:https://worcester2024.jp/

今モネ展やってるのにまた!?という感じはないでもないですが、こちらの展示ではこれまで日本で紹介されることの少なかったアメリカの印象派の絵画が展示されるそう。印象派というと光の柔らかいヨーロッパの絵画のイメージが強かったので、アメリカに渡った後の印象派とても気になります!

 

マティス 自由なフォルム|国立新美術館

会期:2024年2月14日(水)〜5月27日(月)

公式サイト:https://matisse2024.jp/

こちらも、マティス展2023年にやったのに?と思ったら今回はマティスの切り紙絵にフォーカスした展示とのこと。マティスの色使いが好きなので、切り紙絵だとさらにそれが楽しめそうでわくわくしています。

 

・ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?──国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ|国立西洋美術館

会期:2024年3月12日(火)〜5月12日(日)

公式サイト:https://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2023revisiting.html

なんと国立西洋美術館初の現代美術の展覧会。現代アーティストが国立西洋美術館の所蔵作品に着想して制作した作品や、美術館という場所の意義を問い直す作品など新作が豊富とのこと。新作を見られるのは時代を共にしているアーティストならではですし、展覧会のタイトルからも気合いを感じます…!

 

デ・キリコ展や三菱一号館美術館の再開館も楽しみ。

今年初の美術館はいつ行こうかな〜なんてわくわくしています。

2024年も素敵な作品にたくさん出会えますように!

ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会|森美術館

配信始めて以降バタバタしていてレポート書けてないな~、最後に書いたのいつだっけな~と思ったら3か月前でひっくり返りました。お久しぶりの更新です。

今回ご紹介するのは、「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」(会期は2023年9月24日まで)

1990年代以降、現代アートは欧米だけでなく世界の多様な歴史や文化的観点から考えられるようになりました。それはもはや学校の授業で考える図画工作や美術といった枠組みを遙かに越え、むしろ国語・算数・理科・社会など、あらゆる科目に通底する総合的な領域ともいえるようになってきました。それぞれの学問領域の最先端では、研究者が世界の「わからない」を探求し、歴史を掘り起こし、過去から未来に向けて新しい発見や発明を積み重ね、私たちの世界の認識をより豊かなものにしています。現代アーティストが私たちの固定観念をクリエイティブに越えていこうとする姿勢もまた、こうした「わからない」の探求に繋がっています。そして、現代美術館はまさにそうした未知の世界に出会い、学ぶ「世界の教室」とも言えるでしょう。
本展は、学校で習う教科を現代アートの入口とし、見たことのない、知らなかった世界に多様な観点から出会う試みです。展覧会のセクションは「国語」、「社会」、「哲学」、「算数」、「理科」、「音楽」、「体育」、「総合」に分かれていますが、実際それぞれの作品は複数の科目や領域に通じています。また、当館の企画展としては初めて、出展作品約150点の半数以上を森美術館のコレクションが占める一方、本展のための新作も披露され、54組のアーティストによる学びの場、「世界の教室」が創出されます。

(「ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」公式ページより引用)

『現代美術館はまさにそうした未知の世界に出会い、学ぶ「世界の教室」』…!なんていい言葉…!
私は現代美術が好きなのですが、作品に出合えば出会うほど世で言う「美術」の世界だけではない、社会に根差していたり、繊細な科学の世界に通じていたり、人間の身体での表現だったり、たくさんの世界への扉がそこに繋がっています。
それを科目に見立てて展示するなんてもうコンセプトだけで面白くてわくわくで観に行ってきました!

今回は、「国語」「社会」「理科」の分野から1作品ずつをご紹介します。

※この文章は個人の感想であり、正解や作り手の意図を探るものではありません。
また、これを読むあなた固有の鑑賞体験を阻害しようとするものでもありません。

 

国語のセクションより
「見えるものと見えないもののあいだ」シリーズ/米田知子

「見えるものと見えないもののあいだ」(1998-)は米田の代表的シリーズのひとつで、ジークムント・フロイト谷崎潤一郎など歴史に大きく翻弄された近現代の知識人が実際に使用していた眼鏡と、彼らにゆかりある文章や写真・楽譜などを組み合わせてモノクロ写真に収めたもの。作家は、「当時の歴史背景や生活の一部を垣間見、そこで葛藤する彼らの精神を表現することを試みた」と述べる。

www.mori.art.museum

こちらの作品のシリーズは、近現代の作家や建築家、心理学者などが実際に使用していた眼鏡と、彼らにまつわる文章や楽譜を組み合わせて撮ったモノクロ写真です。
例えば、写真一番奥(右)は、「細雪」などの小説で知られる谷崎潤一郎が40代以降、その生涯を終えるまで連れ添った妻であり、「細雪」のモデルにもなった松子にあてた手紙を谷崎の眼鏡を通して捉えた作品。
2015年に谷崎と松子や、その妹重子らの間で、谷崎が松子と出会った27年から谷崎晩年の63年までの36年間に交わされた手紙計288通を遺族が保管していたことが発表されましたが、その中では恋愛観などに加え戦時下の様子も細かに記されていたそう。

他には、こちらの写真には写っていませんが《フロイトの眼鏡―ユングのテキストを見るⅡ》という作品も展示されています。

www.mori.art.museum


フロイトは「無意識」という状態を初めて発見した心理学者・精神科医です。
そして、この眼鏡越しのテキストの著者、ユングもまた心理学者・精神科医
ユングは元々フロイトの弟子でしたが、「無意識」についての意見が相違したことで決別しました。
このテキストはユングフロイトの「リビドー論」を批判したものだそうですが、元弟子が己の理論を批判する文章を読むフロイトはどんな気持ちだったのでしょう。

愛する妻への手紙、決別した弟子からの批判的論文。
どちらも眼鏡越しに文章を読むという行為は同じですが、そこに渦巻く感情は全く別。
よく「この時の主人公の気持ちを考えよ」なんて問題が国語のテストでは出ますが、このシリーズも構図はほとんど一緒でも作品それぞれの登場人物によって伝わる感情は異なるところがまさに「国語」で面白いです。

 

社会のセクションより
「見えざる手」/田村友一郎

本作で田村は、愛知県瀬戸市常滑市の特産品であり、戦後、海外で人気を集めたノベルティと称される陶製人形産業の盛衰に着目した。彼はこの産業の衰退の契機となったのが、1985年にニューヨークで締結された「プラザ合意」だったという仮説を立て、会議に参加した当時の先進5か国、日米英仏西独の蔵相の顔を模した人形浄瑠璃風の陶製オブジェを制作した。さらに経済学者のアダム・スミスカール・マルクスジョン・メイナード・ケインズが黒衣姿で会話を交わす映像が、3画面で展開される。楽観的な自由主義経済論や、資本主義は共産主義への通過点であるといった三者三様の立場から、現在までに起きた経済上の事象についての時空を超えた語らいが、黒衣たちによって繰り広げられる。
陶製人形のノベルティは、プラザ合意後の円高によって輸出競争力を急激に失ったが、今日、為替や株価の急落により一瞬にして財産を失うリスクは当時よりも高い。本作のタイトルはスミスの言葉の引用であり、作品の終盤では心臓発作で他界したケインズの心臓をマッサージする手にも言及されるが、今日、誰の手によって世界の経済は操られているのか、その黒衣の手によって私たちは生かされているのか否か?などの問いを、本作はユーモアたっぷりに仄めかすのである。

www.mori.art.museum

この作品は社会科の中でも特に経済を扱っています。経済が美術作品になるっていうだけでもうおもしろい…!
映像・実際のプラザ合意で撮影された写真・プラザ合意に出席した各国の財政大臣5名の陶製オブジェから構成された作品。
ちなみにプラザ合意とは、1985年に日米英仏西独の会議で締結された主に日本の対米貿易黒字の削減の合意の通称。つまりは、そのころ貿易で絶好調だった日本に対する介入というか調整というか圧力というか…。ここから日本の経済成長は落ち込むことになります。
映像ではまずプラザ合意に出席した5名の思惑(「ここで手柄をあげて出世したい」とか)「他の政治家より抜きん出たい」とか)や国内でのポジションが語られ、その後黒子として現れる3人の経済学者、アダム・スミスカール・マルクスジョン・メイナード・ケインズが「現在」からプラザ合意、そして今に至る経済のありかたについて語ります。
語りが落語みたいで、それぞれのキャラクターも立っていて20分あっという間に見てしまいました!感覚としてはNHK教育の番組。高校の経済の授業を思い出しながら、「マルクス共産主義的な視点からこう言うだろうな~」なんて本当にキャラクターのように見るのも面白かったです。

映像作品ってなかなか全部見るのは難しい中で、ユーモアを交えて鑑賞者に「見せる」つくりと、その中でも「経済は一体だれが動かしているのか?(=私たちは誰に生かされているのか?)」という鋭い問いを投げかけるバランスがクールな作品でした。

 

理科のセクションより
「Root of Steps」/宮永愛子

本展のための新作「Root of Steps」はナフタリンで作られた複数の靴からなるインスタレーションです。光を発しながら佇む靴は、森美術館が位置する六本木にまつわる人々が履いていた靴をもとにしています。その持ち主は、美術館スタッフ、俳優、金融業関係者、アートコレクター、子どもなど、職業や年齢もさまざまですが、全員が六本木ヒルズやその周辺で仕事や生活をしている人たちです。
 地上約230メートルにある森美術館からは、世界中から人々が集まり、行き交い、目まぐるしく変化し続ける東京の姿を一望できますが、その風景の中に個の姿をしっかりと見ることは難しいかもしれません。宮永が集めた靴の持ち主たち、そして来場者の皆さん一人ひとりも、この都市を構成するかけがえない個々の存在です。ナフタリンは常温で昇華するため、時間とともに靴の形は無くなってしまいますが、再結晶することでどこかに存在し続けます。宮永は本作を通して、移ろう儚さというよりも、変化しながらも、たとえ見えなくてもその場所に存在することの確かさを表現しているのです。
(本展キャプションより)


ナフタリンとは、炭化水素の一つで白色または無色の結晶。常温で昇華(固体から、液体を経ずに直接気体になること)するのが特徴で、日常では防虫・防臭剤などとしてよく使用されています。
この作品はそんなナフタリンで作られた複数の靴からなるインスタレーション。つまりは時間とともに形を失い、最終的にはすべて小さな結晶へ変化します。
それは思い出が少しずつ薄れていくように、人や動物の命が移ろうように、または場所が住んでいる人や環境が変わっていくようで、最初はなんだか少し切なさのようなものを感じていました。
けれどこの作品は、そんな変化の「失われるということ」よりも、それが世界には形を変えても留まり続けていることを教えてくれます。
だから、たとえ忘れてしまった経験も、もう会えなくなった人たちだってその思い出や記憶はどこかで自分を構成してくれるし、きっと誰かにとっての自分もそうかもしれないと思うと、いつか自分が消えてしまう時がきてもきっと大丈夫だなとほっとして、少し強くなれるような気もするのです。

 

収蔵作品が多い展示の魅力

今回の展示は出展作品約150点のうち半数以上を森美術館のコレクション作品で構成しているということも特徴。やっぱりその美術館自身が収蔵している作品だからこその展示方法や見られる距離の近さ、作品理解もあって素敵だな~と思いました。あと森美術館だとコレクションがデータになっているから引用しやすくてとってもありがたかったです…!
ついつい企画展にばかり足を運びがちですが、それぞれの美術館の個性と魅力がより光るコレクション展も訪れたいなと感じました。

 

www.mori.art.museum

ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ|アーティゾン美術館

今回ご紹介するのは、「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌフォーヴィスムキュビスムから現代へ」(会期は2023年8月20日まで)

19世紀末から第一次世界大戦が勃発するまでの間、フランスが平和と豊かさを享受することが出来たベル・エポックの時代、芸術を生み出す活気と自由な雰囲気に満ち溢れる中、フォーヴィスムキュビスムなどの新しい美術が芽吹いて花咲き、やがて表現の到達点のひとつとして抽象絵画が目覚めました。その後の抽象絵画の展開は、20世紀の絵画表現を牽引し、その潮流は同時期の日本にも及びました。
この展覧会は、印象派を起点として、世紀初頭の革新的な絵画運動を経て抽象絵画が生まれ、2つの大戦を経てさらに展開していく様子を、おおよそ1960年代まで、フランスを中心としたヨーロッパ、アメリカ、そして日本の動向を中心に展観するものです。
本展では、石橋財団コレクションから新収蔵作品* 95点を含む約150点、国内外の美術館、個人コレクション等から約100点、あわせて約250点の作品を、アーティゾン美術館の全展示室を使ってご紹介いたします。

(「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌフォーヴィスムキュビスムから現代へ」 公式ページより引用)

今回の展示、すごく簡単にすごいところを並べると
○大学生まで無料!(ただし入場時間枠の予約が必要、中学生以下は入場時間枠の予約も不要)
○自分のスマートフォンにアプリを入れて無料で音声ガイドを聞くことができる!(本展示のナレーターは声優の細谷佳正さん)
アプリでは美術館外でも音声ガイドで流れる作品説明を読むことができるので、家に帰ってからでも楽しめる!
抽象絵画の歴史を、発生から歴史に沿って見ることができるのでわかりやすい
しかも最後には現代の作家の作品も多く展示してある!(とても大事!)
○マネ、ゴッホピカソカンディンスキー、クレー、モンドリアンデュシャンなど抽象絵画を語るうえでかかせない作家たちの作品が一堂に会している
○アーティゾン美術館自身の収蔵作品が多いので、近くに寄って作品を楽しむことができる 写真撮影可能な作品も多い
〇図録の色味が現物に近い!(これは個人的超嬉しいポイント)

一点だけ初心者におすすめしないところがあるとすれば、作品数が約250点と膨大なため途中でキャパシティーを超えてしまうことでしょうか…。
美術館に行く前にごはんやおやつを食べてパワーを補給しておくのと、時間に余裕をもって回るのがおすすめです。(水実は作品説明を読みながらゆっくりまわって3時間近くかかりました)

全部の作品を好き!と言っても過言ではないのですが、今回は特に見た時のお話をしたい4品を紹介します。

 

※この文章は個人の感想であり、正解や作り手の意図を探るものではありません。
また、これを読むあなた固有の鑑賞体験を阻害しようとするものでもありません。

 

「黄昏、ヴェネツィア」/クロード・モネ

入口近くに飾られていた作品だったので最初は人が混雑していて、すごく近くで作品を見て「ああ夕焼けの、オレンジが綺麗な作品だな」と思いました。徐々に人がばらけてきたので少し離れてもう一度この絵を見たとき、はっとするほど美しくて。
日没のあっという間に夜に溶けてしまう今この時を、空気を、モネはこの中にとどめたかったんだ。100年以上前の人が閉じ込めた瞬間を、今自分は見ているんだと思うとなんだか涙が出てくるほど胸がぎゅっとなった作品です。
モネの作品はどれも感情がふくよかで好きです。

「コリウール」/アンリ・マティス

コリウールとは地中海沿岸にあるスペイン国境近くの港町。マティスがここへ友人で画家のドランと滞在した際の作品だそうです。
風景画なことはなんとなくわかっても、それぞれがなんのか具体的なモチーフはわからない作品かなぁと思います。
水実は天橋立的なものを想像していましたが、実は中央の緑の部分は教会!右のピンクはヨットの浮かぶ港だそう。
色や形態が固有を離れている分、むしろ友人と訪れたこの地での暮らしが楽しい!という感情が伝わってくるような気がします。

これは作品を間近かつ下から撮影(こんなことができるのもこの展示の魅力!)
厚く塗られた筆致の活き活きした感じ!生きてる~!楽し~!が伝わってきてとても好きな作品です。

現在東京都美術館では「マティス展」が開催中です。会期は同じく2023年8月20日まで!

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html

 

「集中する力」/堂本尚郎

内側からの衝動が画面に渦巻いているようなこの作品。堂本尚郎は京都の芸術家一族に生まれ、日本画家としての将来を期待されていましたが、そののち油彩画に転向した作家です。
この作品の前に立つと、作家は一体どんな風に描いたのかなという想像が膨らみます。どれくらいのサイズの筆を使っているのか、この線は一息で描いたのか、この絵具が厚い部分はチューブからそのまま?この黄色はあとから足した?などなど、ダイナミックに動く作家の姿が浮かんでくる作品でした。

 

「Reflection p-10」/鍵岡リグレ アンヌ

最後に紹介するのは現代の作家の作品。こちらなんと約2.3m×6.5m!まずはその大きさとパワーに圧倒されました。

こちら平面の作品ではなく、ところどころが盛り上がった立体になっているんです。(写真から伝われ~!)

その作品はグラフィートという古典的な壁画技法に布のコラージュを加えた独自の技法による絵画である。それは油彩に川砂を混ぜて何層か重ね、上の層を掻き落として下層の色を出して表現するという、平面でありながら油彩画のプロセスとは根本的に異なるものであり、仕上がりもまた平面作品でありながら立体的な要素が多分に残っている。
(引用:ABSTRACTION カタログより)

絵画だけど立体でもある、その三次元的なゆらぎが、モチーフの水面のゆらぎと響きあっているような不思議な作品でとても心地よかったです。
(隣で見ていた方が「地理のパズルみたい」って言っていてなるほどな~になったのも面白かった)

 

抽象絵画って楽しいし優しい

モネの作品の際にも書きましたが、抽象絵画は近くで見た時と離れて見た時の印象が違うところがおもしろいなと思っています。近くで見たときは「なにこれ?」と思っていたものが、離れた瞬間わかったり、その逆もあったり。

ここでは水実の個人的な抽象絵画を見るときの順番を紹介します!

①タイトルを見ずに絵画をみる
②自分の中で「ここの線は〇〇に見えるな〜」「色使いが森みたいだな〜」とか「筆使いが怒ってるな〜」とか「音楽だとロックかな~」とか色々考える
③タイトルや作品説明を読む
④自分の捉え方と一緒だったらわーいとなって「やっぱりこのあたりがそうだよね~」と思うし、違ったり見えなかったらどのあたりがそうなのかな〜とまた絵画をみる(それで「いやわからん~」になることもある)
⑤楽しい!!!

具象の作品を見るときには、モチーフに何が込められているのかを考えたり、どういった捉え方をしているのかなと見るのが楽しいですが、抽象絵画はより感情がダイレクトに流れ込んでくるので、すごく大変!だけど楽しい!
そして、抽象絵画を見ると少し人に優しくなれる気がします。
人にはそれぞれ違う感性や感覚、感情があることをこんなにはっきりと見せられ、そのうえでそのどれも間違ってはいないということを感じるからかな。
自分のも、ほかの人のも違うけどそれでいいし、それが楽しいしっていうこと、時々こうやってちゃんと知れるのってすごく素敵なことだと思っています。


個人的には上半期一番好きな展示でした!
ぜひ美術館で実際の作品のスケールやパワーを感じ取っていただければ嬉しいです!

www.artizon.museum

「さばかれえぬ私へ 」「MOTコレクション 被膜虚実/Breathing めぐる呼吸」 | 東京都現代美術館

お待たせしました後編!

今回、書きたいことはたくさんあるのに全くまとまらず、こねまわして結局まとまり切っていないのですが、たまにはこういう回もいいかなと思ってそのまま提出しています。いつもとは文体も変えて「だ、である」口調なのでちょっと強く感じるかも…?

正直、この展示を見て私が感じたことを書くにはどうしても政治的な面に触れねばならず、どこまで踏み込むべきなのか、どう取り上げるのかとても悩んだのですが、少しでも作品に興味を持ってもらえたり、美術を考える小さなきっかけになればいいなと思い書きました。

稚拙な文章ではありますが、どうか伝えたいことが伝えたいままにあなたに届くよう願います。

 

この文章は個人の感想であり、正解や作り手の意図を探るものではありません。
また、これを読むあなた固有の鑑賞体験を阻害しようとするものでもありません。

 

さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展

 

唐突な質問だが、「美術」とはなんだろうか?

 

視覚的、空間的な美を表現する造形芸術。絵画・彫刻・建築・工芸など。明治時代は、広く文学・音楽なども含めていった。「古―」「仏教―」

デジタル大辞泉より)

 

辞書の定義では視覚に拠った芸術のこととされている。

美術を学んでいる自分もはっきりとした答えを出すことはできないが、近頃の美術のことを考えると上記は少し狭い定義のように思える。

それを改めて感じたのが「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023 受賞記念展」(会期は2023618日まで)

 

東京都とトーキョーアーツアンドスペース(TOKAS)は2018年より、中堅アーティストを対象とした現代美術の賞「Tokyo Contemporary Art Award(TCAA)」を実施しています。各回の受賞者は2組で、複数年にわたる支援の最終年に、東京都現代美術館で受賞記念展を開催します。

第3回受賞者の志賀理江子と竹内公太による本展には、「さばかれえぬ私へ/Waiting for the Wind」という言葉を冠しました。この言葉は、TCAA授賞式から始まった志賀と竹内の対話の中から生み出された、いわば本展で唯一の2人の共同作品と言えるものであり、人々が抱える内面世界への呼びかけでもあります。

2011年の被災後、突如始まったあらゆる分野での復興計画に圧倒された経験を、人間が「歩く」営みとして捉えなおした志賀、第二次世界大戦時の兵器「風船爆弾」のリサーチにもとづき、過去の出来事–アーティスト–鑑賞者の「憑依の連鎖」による新作を発表する竹内。東日本大震災の爪痕が大きく残された宮城、福島をそれぞれの拠点として活動する両者の作品は、その方向性は違えども、対話の中で見出された共通の認識を持ち、ある部分では作品が重なり合うように展示空間を構成します。

( 「さばかれえぬ私へ 」公式ページより引用)

 

展示の様子はこちらのフォトレポートに多く写真が掲載されている。

www.art-it.asia

 

東日本大震災第二次世界大戦という近代の日本にとって大きな出来事をそれぞれ捉えた作品は、辞書が定義するような「美」よりもジャーナリズム的な側面が強く、見る側を圧倒する。

抽象的な感覚に落とし込まず、映像や資料、写真、実際にそこにあったもの、そこにいた人の言葉で作り上げられた展示は生々しさ、痛々しさすら感じた。

 

志賀さんの作品では、東日本大震災によって浮き彫りになった都市による地方搾取の構造、「復興」の大きな計画に翻弄される地元の人々の姿が、映像の語り口からはっきりとその姿を見せる。

竹内さんの作品では、第二次世界大戦末期に日本軍が開発した「風船爆弾」について、文章が、資料がその存在を語る。

 

二つの展示が示す問題・出来事は、決して私たちと無関係ではなく、かといって私たちはその罪を背負うのか?裁かれる存在なのか?と考えると口を閉ざしてしまう。

「さばかれえぬ私へ」という展覧会のタイトルは、鑑賞者である私たちのことも背後から指しているように感じた。

 

中世の絵画などでも残酷な出来事が描かれていたり、その作品のルーツとなった思想や出来事を知り苦しくなることがあるが、自分が今生きている世界で起こっていることとなると苦しさと同じくらいの無力感に苛まれる。

以前、エコー検査のように自分の尺度や感覚が知れるから美術が好きということを書いたが、同時に知りたくないものも見えるのが美術だなと改めて感じた。(そこも含めて好き)

 

「私たちは過去に起きた出来事を見ることはかなわない。だが、風船爆弾を作った人々やこの爆弾が見たであろう光景、現地で発見された痕跡を作品に提示することで、鑑賞者と疑似的な体験を共有できるのではないか。すべてが事実に基づく「証拠」とは言えないが、見る人の想像力を動かすトリガーになりえると考えている」(竹内公太

www.tokyoartbeat.com

 

近い感情を持ったのが、MOTコレクション 被膜虚実/Breathing めぐる呼吸 内の一作品。

 

MOTコレクション 被膜虚実/Breathing めぐる呼吸

百瀬文さんの作品「山羊を抱く/貧しき文法」は、身体観の移ろいと生への眼差しに着目したコレクション展の中でも一際異彩を放っていた。

 

《山羊を抱く/貧しき文法》(2016)は、フランス人画家が描いた、非白人によるヤギの獣姦の風刺画を百瀬が食紅で模写し、実際にヤギに見せて食べさせようとするプロセスの記録映像だ。

ヤギに向かい合う百瀬が手に持つ綱は、「私たちも管理された家畜状態である」という紐帯を象徴的に示すが、その綱を手放すことはなく、拘束し続ける両義性を帯びてもいる。ヤギは最後まで模写の絵を食べてくれず、百瀬自身が紙を丸めて飲み込む衝動的なラストも含め、どう踏み出せばよいかわからない宙吊り感が残る。

(引用元は2021年の展示時のレビュー)

https://artscape.jp/report/review/10172425_1735.html

《山羊を抱く/貧しき文法》について百瀬文による解説

東京とモンゴルで撮影された映像。インターネット上の日英同盟の箇所にイギリス海軍日本海軍へ性欲処理用に大量のヤギを送ったという真偽不明の逸話があり、性欲処理対象としてのヤギ、支配・被支配地域で女性という痛みの共有を、自分の女性身体性と記憶を通して他者であるヤギと交流できないか考えた。

フィリア=獣姦という言葉をWikipedia上で検索すると出てくる諷刺画を、食べられるインクで模写してヤギに食べてもらうことで歴史を共有しようとしたが、結局パフォーマンスでは手綱を外すことができず、動物と人間の関係、被支配支配関係を自分もなぞってしまい、ありとあらゆるもくろみは破綻し、描いた絵も自分が食べることになった。どうなるか分からないまま撮影し、結局失敗するということまで撮影した。連帯やままならなさのメタファーになるのかもしれない。

note.com

 

映像としては、百瀬さんがモンゴルの草原の中でヤギと向かい合う穏やかな画なのだが、その背後にあるものは重く暗い。

関係性の痛みを共有する目的だったはずが、結果としてヤギの手綱を握ったまま、自分の作品のために何かしらの行動をさせるという支配・被支配の構図をなぞってしまう。

画面の向こうの鑑賞者である自分が「人間」という立場でものを見たらいいのか、「女性」という立場で感覚を共有したらいいのか、感情の置き所が分からなくてぼんやりと眺めてしまった。

人間と動物の支配・被支配の関係は、作家とモチーフにも置き換えられ、「作品」という言葉のもとに色々なことが許される芸術、「作品」の暴力性も感じた。

 

3つの展示を通して

「作品」の暴力性の話をしたが、そもそも「作品」とはなんだろうか。

紙の資料は作品じゃないけど、額装して美術館の壁にかければ作品なのか?

ホームビデオは作品じゃないけど、映画は作品なのか?

既製品の服は作品じゃないけど、Diorのドレスは作品なのか?

 

特に現代美術と言われる分野において、この定義は簡単には語れない。

今、東京都現代美術館で行われている3つの展示は、美術とは?美術館とは?を考える構成になっているように感じた。

 

私のまだ固まりきっていない「作品」の定義は、「誰かの心を揺らすために作られたもの」である。

今後も様々な「作品」に出会う中で、より確信できる言葉を獲得したい。

 

www.mot-art-museum.jp

www.mot-art-museum.jp

クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ | 東京都現代美術館

2度のチケット予約に敗れて涙をのみ、3度目にしてやっっっと平日のチケットが予約できた「ディオール展」!(会期は2023年5月28日まで)

展示予告の時点から会期の長さと気合の入れ方に「すごいことになるぞ…!」とわくわくしていたのですが、想像を遥かに超える展示でした。

今回の展示は全て撮影可だったので写真多めにお届けします!

 

※この文章は個人の感想であり、正解や作り手の意図を探るものではありません。
また、これを読むあなた固有の鑑賞体験を阻害しようとするものでもありません。

 

チケットの予約もとれない上、毎日当日券が開館前に完売しているほど人気なディオール展。
ファッションに詳しくない私でも知っているエレガンスの代名詞・ディオール創始者、ファッションデザイナー・クリスチャン・ディオール(1905~1957)と後継の歴代デザイナーのオートクチュールの服がスペクタクルな展示空間で見られるとのことで、はじまる前からかなり期待値が高い展示でしたね。

会期が約半年もあるにも関わらず、こんなにチケットが取れないのはなかなか珍しいのではないでしょうか。
平日の昼間に訪れたのですが、入場数が制限されている分適度な人数でゆったりと見られたのがすごく良かったです。
また、その時間に訪れるのはファッション関係の方が多いのか「このデザイナーにはこういった特徴がある」というようなお話をしているのをこっそり聞くのも楽しかったです!

 

日本とディオール

日本に初めて上陸した海外ブランドがディオールかつ、ディオールのコレクションも初期から日本の影響を受けていたとのことで、日本での展示のために特別に追加された資料やドレスが!日本とディオールにそんな深い関係があるとは知らなかったので驚きました。

こちらのドレスもその1着。めちゃくちゃ北斎〜!飛沫がスパンコールみたいになっているのが素敵。


そして、本展示のための特別が他にもあり、それが写真家・高木由利子さんが撮り下ろしたクチュールの写真。(メインビジュアルもそのうちの一枚です)

こちらが上で載せたドレスを高木由利子さんが撮影された写真です。
ドレスがその1着に合ったモデルに身に纏われ(今回は写真の美しい動きを出すためにダンサーの方が起用されています)、それがどのように「画」として切り取られることで表現されているのか。ドレスの実物と写真が一緒に見られることで、「ファッション写真」とはどのようなものかがひりつくほど感じらる空間でした。
美しいブレの軌跡は、シャッター速度8秒のうち4秒を静止、4秒をゆっくり動くことで作り出しているそうで、写真って時間の切り取り方まで計算されているのかと改めて奥深さに震えました…。

 

youtu.be

高木さんのインタビューと撮影風景すっごくかっこいいので会場行かれない方もぜひ…!

5月14日までのKYOTOGRAPHIEでも高木さんの展示プログラムがあるらしく本当に行きたかった…!!!

www.kyotographie.jp

 

展示空間

そして今回何よりもすごかったのが展示空間!本展の展示空間は建築家の方が日本文化へのオマージュとしてデザインしたとのことで、いつも空間を自在に変える東京都現代美術館でも類を見ない大規模な作りになっていました。

東京都現代美術館、広いのもありいつも「こんな部屋あったかな」となるのですが、今回はいつも以上に「こんな空間あったかな!?」の連続。建築の雰囲気に合わせた展示を行う美術館も多く、それはそれで「前はこの絵が飾られてたな〜」なんて思い出すのが楽しいですが、空間を毎回思い出せないほど変化させる東京都現代美術館は作品の種類や見せ方が多様な現代美術の美術館のあり方としてかっこいいなと思っています。

今回の展示空間の中でも特に水実のお気に入りを2ヶ所ご紹介します!

「トワルのセレクション」

シルエットやサイズのバランスを確認するために真っ白な布で作られるトワル。色や柄がないからこそ形そのものの美しさが引き立ちます。真っ白な空間の中に並ぶトワルは、洗練された状態だからこそ形に対する並々ならぬ情熱を感じて彫刻のような美しさを感じました。

 

「THE DIOR BALL」

す、すご〜(語彙力)

1階と地下2階をつなぐ吹き抜けに、パーティー用のドレスが並びプロジェクションマッピングで星や月が投影されてる、なんか、これ夢…?

隣の方が「服が見えんのよ!」と言っていて「それはそう」と思った展示方法に全振りした形態。こんなの思いついてもやらんのよという展示ですごく面白かったですね…。

 

そのほかの部屋も入るごとに種類の違う美!美!美!を全力で浴びせられ、何だかディズニーランドの乗り物に乗っている気分。

非現実的な空間で、自分もみんなも目をキラキラさせながら「綺麗〜」と溜息を漏らしているのはすごく幸せでした。

アイドルオタクとしては「このドレスこの子に着てほしい!」って考えるのも楽しかったです!

 

チケット予約は終わってしまいましたが、今も時々キャンセルで再販が出るようなのでぜひチェックしてみてください!

www.mot-art-museum.jp

同日に鑑賞した「さばかれえぬ私へ」と「コレクション展」、総合した感想のレポートはまた近日!

 

 

「インターフェアレンス」展 | 銀座メゾンエルメス フォーラム

2枚目のレポートは、銀座メゾンエルメス フォーラムで開催されている「インターフェアレンス」展についてです。(会期は2023年6月4日まで)

銀座メゾンエルメス フォーラムとは文字通り、エルメス財団の運営するアート・ギャラリー。
毎回「私が銀座のエルメスに…!?」とそわそわした気持ちで、9階まで上がるエレベーターに乗っています。(エレベーターの係の方も、みなさんすごく恭しく接してくださるのでそれもそわそわします)

※この文章は個人の感想であり、正解や作り手の意図を探るものではありません。
また、これを読むあなた固有の鑑賞体験を阻害しようとするものでもありません。

 

「インターフェアレンス」展 とは

エルメス財団は、光、振動、波動など、身体に介入するゆらぎの感覚を通じて、知覚探究を試みるアーティストによるグループ展「Interference(インターフェアレンス)」を開催いたします。4人のアーティストによる作品は、それぞれ、ミニマルな美意識の中に潜む身振りを通じて、私たちの身体に日常的に干渉している出来事の微細な尺度や境界を浮かび上がらせます。私たちは、作品から呼び起こされる生理的現象や感覚によって身体や器官を再認識し、また作品同士の相互干渉から生まれる新たな波長によって、メディテーションへと導かれるでしょう。
(「インターフェアレンス」展 公式ページより引用)

「Interference」とは「干渉・妨害」といった意味。
身体と感覚に関する作品を制作するフランシス真悟さん、スザンナ・フリッチャーさん、ブルーノ・ボテラさん、宮永愛子さんの4名によるグループ展です。

今回はその中から、フランシス真悟さんとスザンナ・フリッチャーさんの作品の感想を記録します。

「Interference」/フランシス真悟

「Interference」は、今回出展されている光干渉顔料を用いたシリーズのタイトルでもあるそうです。構成としてはシンプルで、正方形の画面に円が描かれているだけなのですが、それを描く光干渉顔料がすごい。

見る角度によって色が繊細に変化していき、それがギラギラした玉虫色のような変化ではなく、サラサラと光の粒子が砂時計のように落ちたり登ったりしていくような不思議な感覚。

私は、他人が見ている色というものと自分が見ている色が同じだという確信はどこにもないなという考えを持っているのですが(答え合わせの方法がないので)、色とは単に光の屈折であるということを改めて認識させられる作品でした。

「私が今見ている色と隣の人が見ている色は違う」「しかし1つの同じ作品である」ということは、なんだか浮き足立つような、違ってもいいのだと安心するような不思議な感覚でした。

階段をおりた8階にある作品は必見です!(見た瞬間「おわー!」って声が出て慌てて口をふさぎました)

「Pulse」/スザンナ・フリッチャー

スザンナ・フリッチャー(1960年ウィーン生まれ)は、ガラスブロックの構造に呼応した環境にめぐらされた、半透明の雨のような糸で空間を満たします。モーターからもたらされる振動や周波は、極細の素材が伝える振動の干渉によって、サウンドの変化としても現われます。同調し、打ち消しあい、鼓動し、周期的なリズムへと加速することで、音域外の聴覚へといった私たちを誘いだすでしょう。
(「インターフェアレンス」展 公式ページより引用)

インスタレーションの説明って難しい…!
展示室に上下に張られたシリコンの半透明な糸が振動や周波で震えるさまを9階では上から、8階ではその糸の間を通りながら観賞することができます。
シリコンの糸が震えると反射したした光が上から下へと流れていくのですが、それを見て自分の脳の浅いところでは「雨が降っている」と判断し、深いところでは「細い線状の光が上下に移動すると自分は雨が降っていると錯覚するんだな」と冷静に考えている。そしてそれをさらに俯瞰して見ている自分がいる。
自分が、というよりも人間はどうやって何を見て判断をしているんだろう?音なのか?光なのか?それとももっと違う感覚なのか?それはどれくらいの変化で変わるのか?感覚の不思議さと面白さを同時に味わえる作品です。

 

どの作品もまさに「干渉」で、エコー検査のように「自分は一体何を尺度にしているのか、境界線を引いているのか」ということが見えてきて、だから美術が好きなんだよなと改めて思った展示でした。

会期も長いので、ぜひ銀座に用事がある際は訪れてみてください!

「インターフェアレンス」展公式ページ

レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才 | 東京都美術館

先日、東京都美術館で開催されているエゴン・シーレ展に行ってきました。(会期は2023年4月9日まで)

いまだに休日でお天気の上野にはたくさん人がいるということを毎回忘れては新鮮に驚いています。

エゴン・シーレ展も例にもれずかなりの盛況で、当日券は買えたものの展示室の中はたくさんの人の熱気で溢れていました。

※この文章は個人の感想であり、正解や作り手の意図を探るものではありません。
また、これを読むあなた固有の鑑賞体験を阻害しようとするものでもありません。

 

そもそもエゴン・シーレって?

エゴン・シーレ(1890-1918)

オーストリアの画家。
「接吻」を代表作とするクリムトの影響を強く受けていることで有名です。

世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンで活躍した画家。わずか28年という短い生涯の間に鮮烈な表現主義的作品を残し、美術の歴史に名を刻んだ。
最年少でウィーンの美術学校に入学も保守的な教育に満足できず、退学して新たな芸術集団を立ち上げる。当時の常識にとらわれない創作が社会の理解を得られずに逮捕されるなど、孤独と苦悩を抱えながら、ときに暴力的なまでの表現で人間の内面や性を生々しく描き出した。
エゴン・シーレ展公式サイトより引用)

 

展示について

私はシーレについて詳しくなく「自画像ってあんまり興味ないんだよな〜」と乗り気ではなかったのですが、友人の評判や家長むぎさんがおすすめされていたことが足を運ぶきっかけになりました。

日本での大規模なエゴン・シーレの展示は約30年ぶりとのことで、かなりメディアでも大きく取り上げられていましたね。

本展は、エゴン・シーレ作品の世界有数のコレクションで知られるウィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、シーレの油彩画、ドローイングなど合わせて50点を通して、画家の生涯と作品を振り返ります。加えて、クリムト、ココシュカ、ゲルストルをはじめとする同時代作家たちの作品もあわせた約120点の作品を紹介します。夭折の天才エゴン・シーレをめぐるウィーン世紀末美術を展観する大規模展です。
エゴン・シーレ展公式サイトより引用)

展示は「シーレを中心としたウィーン世紀末美術展」といった印象。

章立てとしてはシーレの人生をなぞりつつ、モチーフごとに分類していますが、シーレ以外の作家もオスカー・ココシュカなどは作家ひとりをフィーチャーした章がありました(逆にクリムトの章がなかったのが意外)。

シーレは時代性の影響が色濃く出ていますし、オーストリアの画家といえば!といった面々の作品を包括的に見ることができたのはとても贅沢でした!

 

エゴン・シーレについて

さすがあのクリムトに「才能がありすぎる」と言われるだけあって、幼少期から絵がうまい!

実父が亡くなったのちにシーレの後見人となった叔父を描いた「レオポルト・ツィハチェックの肖像」は当時17歳とは思えないほどの描写力。人となりがポーズや表情から伝わってくるよう。陰影の付け方もかっこいい!光のあたってる方の背景が黒で、あたってない方が白なのも好き。

絵画の基礎となる描写の力をシーレはかなり早くから持っていたんだなと思いました。これは特別扱いでアカデミーに合格するわ…。

 

私が今回来ていたシーレの作品の中で一番気になったのは「横たわる女」(女性のヌードの作品なのでリンクを開く際はお気をつけて!)。

1917年なので、死の前年に制作された作品です。

黄土色の画面の中央に横たわる女性、そして彼女の下に敷かれた白い布。モチーフの輪郭ははっきりとした青のラインで縁取られ、画面にリズム感を生み出しています。

シーレの人物画は、肌の中の青と赤が混じったうねるような筆致が特徴ですが、この作品もその点が顕著。

画集やポストカードではかなり肌の色が背景の黄土色に沈んで見えるのですが、実物はポイントの赤が引き立って生き生きとした美しさがありました。これだけでも美術館で見られてよかったー!

同じ女性の裸体がモチーフでもルネサンス絵画の神聖さとは違い、より生々しく、人の肉の柔らかさが手に取るように伝わってきます。

特に太もも!「頭を下げてひざまずく女性」もそうですが、シーレはかなり女性の太ももの描き方にフェチズムを感じますね。

強い輪郭線からくる平面感と、縁取りの中の生々しさとのアンバランスさ。絵画の中に蠢く血管と流れる血があるようで、とても好きになった作品です。

 

全体の感想として、短いその生涯や自画像の印象から「孤独と苦悩の画家」として見られがちなシーレですが、むしろ安定した評価と生活があったからこそ世紀末の時代の空気とともに自分自身にひたすら向き合うことができたのではないかと個人的には思います。

また、シーレの作品はどれも100年以上前に描かれたとは思えないようなおしゃれさがあり、洗練された色彩や構成、筆致が現代でもなお人気がある理由なのかなと感じました。

 

シーレ以外に気になった画家について

私がシーレ以外に気になったのは、ウィーン分離派創設メンバーのカール・モル。

今回の展示で初めて知った方なのですが、木版画も油絵も澄んだ空気感。静かな日常を切り取ったような、静謐で柔らかな雰囲気がとても素敵でした。

またどこかで見られたらいいな。

 

3/18〜4/2は18歳以下の方は都立美術館・博物館が入場無料になるそうなので、春のお出かけにぜひ訪れてみてください!

 

www.egonschiele2023.jp